ダン・ハンコック
アマルは泣き止むと私に謝った。「起きてから体調が悪くてねぇ。勉強に行かなければいけないのに、とてもしんどくて。」家庭内暴力の犠牲者であり、今はシングル・マザーであるアマルは三人の子どもたちと一緒に南ロンドンのトーティングの汚れた一時収容施設に住んでいる。彼女の家族へ住居を提供する法的義務を有するワンズワースの自治体は、彼女たちにニューキャッスルの町はずれ、ウェストブロムウィッチにある賃貸マンションを与えようとしたと、アマルは話してくれた。「私は彼らにこう言ったの。もうあなたたちに伝えたように、私はロンドンで就職の面接があって、勉強もロンドンでしている。子どもたちはロンドンの学校に通っていて、別れた夫は毎週子どもたちの世話をしにやってくるのと。」
自治体は、ウェストブロムウィッチの住宅が彼女の最後のチャンスだと主張した。それを断れば彼女は「故意のホームレス」と宣言されてしまい、三人の子どもたちと路上に放り出されただろう。「彼らは言ったの。選択肢は一つ、ウェストブロムウィッチだと。もし私がノーといえば、他にチャンスはないとね。」
これが住宅危機に対するロンドン自治体の一つの反応だった。つまり、貧困家庭の財産に対して5億ポンドを費やして何百マイルをも離れたところへ追いやり、一方では区をまたいで、ナイン・エルムスの開発に150億ポンドを使いメカーノの足場の地価を上げることである。ナイン・エルムスのほとんどのアパートには1億ポンド以上の費用が費やされるだろう。
アマルに会った2014年、ロンドンの一方の側では、今や誰もが知っている「フォーカスE15マムズ」[i]が自分たちが生まれた街に住み続けるための運動を拡大させていた。「90億ポンドのお金をオリンピックにつぎ込んで、あいつらはわたしたちや子どもたちにヘイスティングスに移り住むようにといってきたんだ」。19歳のアドラ・チライシャは(開発の)裏でごまかしを行っていたイースト・テムズの住宅協会のオフィスをグループで占拠している状況のなかでそう嘆いた。「私の息子のDeseanは一歳。あの子に家族や自宅から離れて育ってはほしくない。私はヘイスティングスのことなんてなにも知らない。」
二年後、アマルとアドラ、彼女たちの子どもたちは居住場所に留まるために権力と長く激しい闘いをし、今もロンドンに住んでいる。その一方で、権力の側は奢侈な不動産開発業者たちの前に屈服した。すなわち、中国の商業コングロマリットや賃貸物件を貸す不労所得者たちに。
ジェントリフィケーションとは、ほとんど終わりの見えない議論の可能性を伴った、感情に激しく訴える問題である。まったく驚くべきことではないがそれは、ホームやアイデンティティ、コミュニティーについての根本的な疑問、場所はどのように私たちを定義し、どのように私たちは場所を定義するのかという問いを投げかける。社会の貧しい者たちを強制的に移住させようとするプロセスは、もちろん今に始まったことではない。世紀を振り返ってみれば、社会的浄化が文字通り紳士階級の責任としてあった時代は存在したが、そこでは執行官が馬の背にまたがっており、熟練の職人は流行のヒップスターブランドというより、前産業的社会階級として記述されている。
やはりそれでも、ジェントリフィケーションについては何かしらの時代精神がある。ほんの二・三年前までその用語は地理学研究者と住宅業者のみが使っていたが、それはここ数年でメインストリームにまで上り詰め、いよいよ世界中の同様のほぼすべての都市に現れるようになった。しかし、議論が活発になっただけではない。それだけではなく、ジェントリフィケーションに対する反対運動は、急速にますます重要なものとなり、またますます組織化されつつあるのである。ジェントリフィケーションという言葉が存在する以前に起こった出来事に対抗して発生した歴史的なレント・ストライキや近隣での叛乱を、その文脈のなかに位置づけることは容易である。だがしかし、いまはじめてジェントリフィケーションそれ自身が政治闘争、そして抵抗の重要なポイントになっているのである。
イギリスにおける大きな転換点は昨年の秋に訪れた。燃えるたいまつを手にしたクラス・ウォー(Class War)のメンバーたちによるファック・パレードは、東ロンドンの典型的なヒップスターカフェであるシリアル・キラーの壁に「クズ野郎(SCUM)」と書きなぐった。そのカフェは、子どもを養う余裕のない何千もの家族がいる地区で一杯4ポンドもするシリアルを提供しているために、すでにチャンネル4ニュースによって非難されていた。私自身を含め何人かは、顎髭を生やした穀物のアントンプレナーたちがジェントリフィケーションの真の元凶ではないと主張していたにもかかわらず、そのニュースは世界中で報道された。千のホット・テイクス[ii]を引き起こした暴動としてだけではなく、高まりつつある怒りの波の表現としても。そしてこのイシューはメインストリームの問題へと上昇したのである。
先月、クリスマス前のディス・アメリカン・ライフは、あるサンフランシスコの父親に関して驚くべき内容を特集した。その内容とは、その父親が六歳の娘の学校での演劇を見にいくというものなのだが、その芝居の全体が街を「金持ちのための殺菌された遊び場」にしようとするテクノロジー企業の有害な影響に対する激しい論争になっていることが見て取れるのである。劇は公会堂の外での大きなデモで最高潮に達するが、子どもたちは「抵抗=コミュニティーへの愛」と読めるプラカードを手に持ち、街は売り物ではないと歌うのだった。
では、なぜ今なのだろうか。その簡潔な答えは需要と供給である。良い立地の都市空間への需要は以前よりも高まっている一方で、都市貧困層向け住居オプションの供給や、それを人々に保障しようとする国側の強い意志、積極的な姿勢はこの十年来の間に弱まってきている。都市政策において私たちは市場の勝利と国の降伏を目の当たりにしている。もしある地域が金持ちにとって好ましいものへと変わるのであれば――そこがこれまでは好ましくないような場所であったり、公共住宅で占められていたことを気にしないのであればだが――、遅かれ早かれ富裕層は欲しているものを買い求めることになるだろう。「問題は」、先月のガーディアン・ライブでの議論でサヴィルス(Savills)の不動産代理人であるヨランド・バーシスはこう続けた。「人々が住みたいと思うロンドンの地域は人口と同じ割合では広がらないということだ」。
新しいソーシャル・ハウジング建設が破綻し、競売下にある無数のソーシャル・アパートが売り出されることによって拍車がかかったロンドンの住宅危機が深まるにつれて、イギリスの首都にあるローカルコミュニティに対して大きな衝撃が与えられた。アクション・イースト・エンド(ActionEast End)の製作によるこのカスタマイズされたGoogleマップは、超ローカルな運動のために地図に矢印を指してくれている。
東部のセーブ・クリスプ・マーケットから西部のセーブ・プロトベロ・ロード・マーケットまで、その多くが昨年結成されたばかりの運動は、現存するソーシャル・ハウジングの保護を求めることから、新しい高級マンションの開発やコミュニティーの資産として愛されている市場や保育園、パブ、小売店の破壊に対する抵抗にまで及んでいる。
この記事を書いている時点で、そこには53の運動が載っているのだ。その一つはリクレイム・ブリクストンだ。その団体は2015年の3月に結成され、東ロンドン地区で急速に加速しているジェントリフィケーションに反対している。共同創立者のシンディー・アナフォーの母親はずっとテント市場でガーナの日用雑貨店を経営していたが、そこは最近その地区の食べ物を求めてやってくる旅行者や裕福なロンドナーにとっての新しい目的地であるブリクストン・ヴィレッジに再ブランド化された。ソーシャルメディアを通して、アナフォーと友人たちは会議を準備し、数千人を集め全国の国内メディアの関心も集めたブリクストン・タウン・センターでのカーニバルを兼ねたデモを先導した。「この約20年で、ジェントリフィケーションは瀬戸際まで来た」とアナフォーは言う。「しかし、この5年から6年はとりわけ前面に出てきていて、リクレイム・ブリクストンはなによりもそれへの不満から起こった」。
より高価な店舗やバー、レストランの急増や、住民ではない人々の流入、販売対象である裕福な人口層が訪れるChampagne+ Fromageのような場所などではブリクストンの変容がはっきりと見える。だが一方でアナフォーは文化的また広告的な変化が重要な出来事ではないと明言している。「全ては住居に行き着く」と彼女は言う。「ある種の「やっかいなアクティヴィスト」になり、存在するすべての住居問題のグループを知るようになったことは、ブリクストンの土地の状況の厳しさをわたしに気づかせてくれた。会議をしている人々は立ち退きリストに名前が載っている。人々は特定のタイプのビジネスや店、またFoxtonsのような不動産業者について不平を言っているが、私は地代の安定がなにかしらみんなを助けることになると思っている。」
昨年の6月、ベルリンでは、強制的な地代規制が始まり、大家は新しいテナントに対して地域相場を10%以上超えて地代を請求することを制限されるという報道がなされた。前年度、地代は9%以上上昇していた。「私たちはロンドンやパリのような状況を求めてはいない」とベルリンテナント協会のレイナー・ワイルドは述べている。このような貧困層の市民を守るための「耳障り」な立法は、空から降ってくるわけではもちろんない。それは、住宅問題やジェントリフィケーション、都市への権利などに関する強固な都市市民の運動の歴史から明らかである。
最近発売された『大都市の関心事(MetropolitanPreoccupations)』の著者であるノッティンガム大学の地理学者アレックス・ヴァスデーヴァン、ベルリンはある意味でロンドンとはまったく違うと言う。ベルリンはとても貧しい都市であり、賃金はドイツ西部のそれより3分の1ほど低い。「ドイツ統合に続いてベルリンではジェントリフィケーションの波が見られます」とヴァスデーヴァンは言う。「壁の崩壊前、スクワッターには建物を改装するための補助金が与えられており、彼/彼女らは結果として合法化されていました。つまり、ある種の妥協があったのです。しかしそのプログラムも2002年には終了し、壁の崩壊以来ベルリンはネオリベラルな都市ガヴァナンスの実験場となってきたのです」。
ロンドンでは、ヴァスデーヴァンの言うように、ソーシャル・ハウジングのための基金が破綻し、同時にかつてソーシャル・ハウンジングとして使われていた何千もの不動産が民営化された。「ベルリンはかつて金融の中心になろうと目論みながら、それに失敗しました。そのために今度は完全なる「創造都市」というアジェンダに突き進んでいったのであり、少なくともそのヴァージョンの一つがツーリスティフィケーション(touristification)[iii]とエアアンドビーアーバニズム(Airbnburbanism)[iv]とでもいうべきものと結びついているのです。クラウスベルグにおける壮大なエアビーアンドビーの地図があります。その近隣には最近まで普通のレンタルマーケットに利用していた地所がたった一つあるだけでした。それがいまや、そこ以外のすべてがエアビーアンドビーになったのです。」
ベルリンでの草の根の抵抗はそのほとんどが非常にローカルな地理の周辺で起こっており、たとえばそれは一つの特定のビルや公園、住居計画をまもるとか、地域で愛されているトルコの日用雑貨店の追い出しと闘うためにだって行われている。それにもかかわらずヴァスデーヴァンが説明するように、それぞれの成果が街全体を刺激し、そのことでジェントリフィケーションもベルリンではロンドンでよりもっと共通の話題となっているのである。その試みは大きくなり続けていて、つながりを作りながら、地域間だけでなく国際的にも情報を交換しあっている。
「彼/彼女らは驚くべきほどに強固に団結することで地代制限を勝ち取ることに成功し、完璧に敵を打ちのめしました。彼/彼女たちはまた互いに意思疎通するのが上手です。クラウスベルグに留まっている地元の労働者階級のドイツ人たちは、トルコ人移民たちと協力していて、すべての文章はドイツ語とトルコ語で書かれています。彼/彼女らはすべてネットワーク化されているのです。」
彼/彼女らはまた、スペインのプラタフォルマ・デ・アフェクタドス・ラ・ヒポテカ(PAH)とも連絡を取り合っている。PAHとは、何千という立ち退きの阻止何千という立ち退きを阻止している驚くべき成果をもつ草の根の組織であり、そのスポークスウーマンであったアダ・コラウをバルセロナ市長にまで押し上げた。スペインの住宅危機は非常に破滅的なものであったので、PAHによるコミュニティーの自己組織化や支援、立ち退きを阻止するための直接行動などの方法は世界中で模倣されている。私は、立ち退かせようとしていた銀行に立ち向かうべく反撃に出る前に開かれたPAHの会議で、涙を浮かべているスペイン人夫婦を、外国生まれの(大抵はラテン・アメリカンの)隣人たちが慰めていたのを目にした。またPAHのドキュメンタリー「シ・セ・プエデ」も見たが、これはロンドンで住宅活動家たちが上映した。こうした戦略とひらめきの国際的な共有は、グローバリゼーションの二重に鋭い力を強調するものである。それは不動産開発業者と投資家たちがベルリン、ロンドン、バルセロナで一斉に動いている一方で、そうした都市でジェントリフィケーションに抵抗する人々たちもまた彼/彼女ら自身がネットワークに加わっていっているのである。
依然として考えるべきことは、ジェントリフィケーションに対する運動が一つの都市を横断した抗議へと成長するかどうかということだ。確かにGワードは、若者や白人、富裕層が都市中心部へと流入することによって引き起こされる、都市内での緊張の多くの新たな犯人として利用されている。いま流行っているBrooklnFlea market[v]の支援を受けた「ヤーンボビング(yarn-bombing)」[vi]系アーティストが、許可なしにブッシュウィックにある自宅の外壁に映画監督ウェズ・アンダーソンへの敬意を込めた15フィートのかぎ針編みの作品を建てていった後ニューヨーク在住のウィル・ギロンはこう書き込んだ。「心臓の鼓動が早くなり、自分が襲われるんじゃないかという不安に苛まれるようなフードを被った若い白人のミレミアルズ(millennials)[vii]をいつも見かける場所で、ジェントリフィケーションは起こっている。」
[i]フォーカス・E15・マムズ (Focus E15 mums)は、若いシングルマザーや運動家たちによるグループ。東部ロンドン各地の空き家で安全な住宅環境の議会による保証を要求することを目的とした占拠行動をおこなっている。http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/oct/05/focus-e15-mums-fight-for-right-to-homeやhttp://www.theguardian.com/uk-news/2014/oct/02/newham-council-drops-plans-evict-focus-e15-housing-campaigners-east-london、またhttps://www.facebook.com/Focus-E15-Mothers-602860129757343/などを参照。
[ii]ホットテイク(hot take)とは、ジャーナリズム用語で「浅はかな教化に基づいた、故意に挑発的な解説」の意味。
[iii]ツーリスティフィケーション(touristification)とは、巨額な費用をかけて表面的な飾りを施すことによって、旅行者にとって快適な場所を作り出すプロセスのことを指す。
[iv]エアビーアンドビー(Airbnb)とは、宿泊施設や民宿などを貸し出す人に対して作られたソーシャルネットワーキングサービスであり、世界192カ国33000もの都市で80万以上の宿舎を提供している。https://www.airbnb.jp/を参照のこと。
[v]Brookln Flea marketとは、地元の職人やデザイナーによって制作され洗練された宝石や芸術作品だけではなく、家具やビンテージ衣類、その他稀少品や骨董品、さらには新鮮で高価な魚にいたるまで売られているフリーマーケットである。2008年4月に開始され流行し、いまやニューヨークのトップアトラクションの一つとなっている。
[vi]ヤーン・ボビング(yarn-bombing)とは、毛糸を使って街にあるもの装飾していくアートの一種である。
[vii]1980年代から2000年代前半に生まれた世代のこと。