2015年 04月 29日
天王寺公園青空カラオケ強制撤去 |
Ⅰ はじめに
大阪市天王寺区南部に位置する天王寺公園。大阪市の南のターミナルである天王寺駅のすぐ向かいに位置し、その周囲はいまだ進行中である阿倍野再開発地区や、大阪の名所として知られる新世界、通天閣、四天王寺、そして日本最大の寄せ場である釜ヶ崎(あいりん地域)に取り囲まれている。2003年冬、この公園で世間の耳目を集める出来事が起こった。天王寺公園内の通称カラオケ通りと呼ばれる道筋には、9軒の青空カラオケ屋台が営業を行っていた。この青空カラオケ屋台が突如立ち退きを迫られ、店主や従業員がこれに対する抵抗を繰り広げたのである。問題が起こってからというもの、この光景はマスメディアによって盛んに報じられ、さまざまな言説が飛び交った。
だが青空カラオケ屋台がすっかり撤去されてしまった現在、この出来事は一過性の話題として忘れ去られようとしている。しかしながら筆者らは、青空カラオケ屋台に対する強制撤去が孕む問題性はいまだ問われてすらいないのではないかと考える。本稿は青空カラオケ強制撤去という出来事を批判的に検証することで、そこから都市空間の現在性に向けた問いを、仮説的なかたちであれ立ち上げることを目的としている。
青空カラオケは30年以上にわたる歴史を有している。最初に青空カラオケが天王寺公園に登場したのは、1967年のことである。その後1990年代半ばまでは、4軒が営業するだけだった。もっとも、当初の青空カラオケの形式は現在とは異なっていた。現在のように屋台を構えるのではなく、土日や祝日にカラオケの機材を公園内に持ち込み、一曲100円あるいはカンパ制で行われており、飲食物も客の持ち込みだった。1990年代半ばになると、機材の大型化も伴い青空カラオケは屋台形式で定着化されていく。また、店舗数も増加し、同時に飲食物等も出されるようになった。こうして青空カラオケは、「カラオケ通り」と名づけられるように、領域的な性格を有するに至ったのである。
このような記述を一読すると、すぐさま次のように結論づけたくなるかもしれない。公園内での営業は明らかに都市公園法に違反するのだから、やはり強制撤去はやむを得ない、と。しかしここで立ち止まって考えてほしい。青空カラオケは30年以上にわたる歴史を有しており、事実上その存在は黙認されてきた。それがなぜ現在に至って突然その違法性が叫ばれ、排除されることになったのか。
ここであらかじめ断っておかねばならないが、青空カラオケ強制撤去の直接的な理由は筆者らにはいまだ不明である(不明なままに強制撤去が行われたこと自体問題であるが)。だが強制撤去が法的な問題である以前に政治的な問題であることは少なくとも明らかであり、強制撤去という物質的実践が作動された背景にいかなる力が働いていたのかを考察することには十分意味があるだろう。
考察を進めるにあたって、まずは当事者にとって青空カラオケがどのような意味をもっていたのか、そして青空カラオケという場がいかなる社会性を紡ぎだしていたのかを把握することから始めてみたい。
Ⅱ 公共空間への参加のかたち
青空カラオケその参加者は、それぞれの身体行為をつうじて実にさまざまな役割を担っていた。歌い手はカラオケのメロディに合わせて各々のリズムで歌を刻む。店主や従業員はカラオケの番号入力や飲食物の注文のほか、司会進行を演じることで、歌い手の刻むリズムをさらに増幅させていく。客はといえば、道端に立ったり座ったりと、それぞれの格好で奏でられるリズムに耳を傾け、談笑する。また歌い手の奏でるリズムに合わせて、大衆演劇の演者は独自のスタイルで舞踊を披露する――。
こうした場は同じカラオケとは言っても、閉鎖的な空間のなかで行われる通常のカラオケとは、その社会性という点で一線を画している。不特定多数の偶然の出会い。その対面のなかで即興的に演じられる上演の協働性を土台として青空カラオケは成り立っていたのであり、各人の思い思いの演技に応じてその場がもつ表情は自在に変化していくのである。
青空カラオケのもつ社会性が人々の緩やかな協働によって成り立っているということ。この点は、とりわけ社会的に周縁化された立場に位置する人々にとってきわめて重要な意味をもつ。
前述したように、天王寺公園は寄せ場として知られる釜ヶ崎(あいりん地域)に隣接している。戦後の釜ヶ崎(あいりん地域)は日雇労働力の供給地として単身男性の集住地を形成していたが、日雇労働市場の縮小や労働者の高齢化を背景として、就労から排除された労働者には野宿生活を強いられる人が数多く存在している。そうした人々が、たとえば天王寺公園などの市内の公園に拡散し、そこに生活の拠点をかろうじて築いている。
こうした立場の人にとっての青空カラオケの重要性として、まずはそれが就労の場として機能している、という点を指摘することができるだろう。青空カラオケ屋台に従事する従業員のうち複数の人々は、かつて寄せ場で日雇労働に従事していた経験、あるいは野宿生活を営んでいた経験をもっている。そして彼らのなかには、カラオケ屋台での労働が貴重な収入源となる人もいたのである。
それだけではない。寄せ場労働者に限らず社会的に周縁化された立場の人々にとって、青空カラオケは他者との関係性を築く場としての意味をもっていた。たとえば、次に引用するA氏、62歳の言葉。彼はビルの管理人を務めてきたが、それまで務めてきた管理会社が倒産した後、マンションの清掃や管理の業務に従事することになり、現在では週に2回しか仕事をさせてもらえない。
「わしかてほれ、歳いってきたらな、リストラとかあんなんなって、ほれ、仕事行って、人が寝とるときに仕事せな、な。どうでもええかもしらんけれども、そんな仕事が、われわれにしたらそんなないわけよ、兄ちゃんほんま悲しいけど。・・・そんで朝、帰ってくるわけよ。で朝、帰ってきたら朝から開いとるわけや、な。でここで、はじめて、疲れて帰ってきてやな、ここで、ぱっと入って一杯飲んでいいんか、っていうたら、うん、っていうことで、寄って、でカラオケで一曲二曲歌ってたら、朝からやけどな、みんな不思議か知らんけどやな、こっちは人の寝とるとき働いとる。」
改めて述べるまでもないが、公園とは公共空間である。この空間がその公共性を実現するためには、すべての人々の参加に開かれる可能性が保たれていなければならない。勿論、特定の利用形式が別の利用を妨げるということはあり得る。そのような対立は調停されなければならないが、そこですべての人々に対する参加の可能性という基本は外されてはならないだろう。日中に働き夜に休息をとるというライフスタイルが主流のなかで、A氏の営むライフスタイルは周縁に位置する。マジョリティが夜の時間帯にとる休息を、彼は早朝にもたざるを得ない。そして彼が休息を実現できる空間として見出したのが、天王寺公園であり、青空カラオケだったのである。そうした実践が多くの人々の目には「不思議」な光景として見えたとしても、彼の参加が実現される可能性そのものは排除されてはならないのである。
A氏の公共空間への参加が可能になったのも、青空カラオケが緩やかな協働の場として機能していたからであるが、一方で次のような事実もまた、認識しておかなければならない。青空カラオケが柔軟な場を形成しているとはいっても、その柔軟性には限界があり、必ずしもすべての人に対して開かれていたわけではない。たとえば野宿生活者に対しては、青空カラオケが領域的な性質を有しているがゆえに、そして青空カラオケが一面では経営的な側面をもっており、野宿生活者は「客」とはなり得ないがゆえに、その場は排他的に作用することもあった。また(その表象=代表の仕方は批判すべきものであるが)いくつかの報道が繰り返しとりあげたように、カラオケの音を不快に感じる利用者がいたことも事実である。
このような対立をいかに和解させていくのか、つまり野宿生活者や青空カラオケの従業員や客、そしていわゆる「一般市民」とが緩やかに共存しうる空間をどのように形づくっていくのか。そのような問いのもとに公園整備が進められたら、どれだけ実りある公園をつくることができただろう。しかしながら、事態の進行はまったく逆であった。都市公園法を盾にした行政代執行は、10月に告示され、2ヶ月後の12月15日には執行されるという、異例のスピードで進められたのである。
このような事実を踏まえ、次に当事者がなした異議申したての主張や実践を参照しながら強制撤去の問題性をより具体的に示したうえで、その背景に潜む論理を抽出してみたい。
Ⅲ 迷惑という修辞
上述したように、今回の行政代執行は10月に告知、12月に実施という驚くほど短期間のうちに行われた。行政代執行の手続きは、最初に除去命令書が出され、この期日を過ぎた場合、行政代執行法に基づく戒告書が出され、行政代執行令状が出されるという手続きが踏まれる。また法律上は、行政代執行を不服とする場合には、弁明書を提出したうえでその旨を申し立てる、という手続きになっている。
ところで当時の磯村隆文大阪市長は、弁明書提出期限である十一月十七日以前に、強制撤去の方針を既に断固たるものとして表明している。となれば弁明書の提出が行政代執行の実施へと向かう手続きとしての意味しかもちえないことは、誰の目にも明らかであろう。
十一月十七日。行政側にとってこの日は弁明書提出の期限にすぎなかったが、当事者はしかし、あくまで話し合いの機会を求めてゆとりとみどり振興局に赴いた。
「だから、われわれは、言ってることを、われわれが言ってることは、十なら十とも聞いてくださいって言ってるのちがうよ。どういうふうに解釈してるのか知らんけど、われわれきょうここに来たんは、お願いにあがってんねんけど、おたくの態度みてたらどうしても、声が荒げてくる。ね。十を言うても、十聞いてくださいじゃないの。おたがいに折れて曲がって人間同士の話をしよう言うてるわけ。」
この言葉は、「弁明書提出→代執行実施」という不可逆的な手続きのプロセスを何としても食い止めようとする、当事者のぎりぎりの主張として解されるべきだろう。しかしながらこのような主張は、「手続き」という壁を前にしてまったく省みられることはなかったのである。
ここで当事者のなしたこのような主張の正当性を提示するために、国連社会権規約委員会による強制立ち退きに関する規定を参照してみたい。強制立ち退きの要件として同規約は、①高度の正当事由、②影響を受ける者との真正な協議、③適切な代替措置の提供、この三点が必要であると定めている。カラオケ屋台の店主らが求めた話し合いの機会は、②影響を受ける者との真正な協議を求めるものだった。そして当事者がそのような場を求めた理由は、①カラオケ屋台に対する行政代執行実施の事由が正当性を欠き、③適切な代替措置の提供がまったく考慮されていなかったことによる。この点を順に説明していこう。
今回の行政代執行は、いかなる根拠のもとで行われたのか。磯村大阪市長は次のように説明している。
「道路を不法占拠して商売をしたり、自分達だけが楽しみ周りの人に迷惑をかけるというのは問題だと思います。行政としては、いろいろな所からなぜああいうことを放置しておくのかと言われてきており、公園管理という形で、ようやく問題解決に向けて動き始めたという認識を持っています。大阪は自由なまちですけれども、許されることとそうでないことがあります。天下の公道で、人に迷惑をかけるようなことをやって自分達が楽しければいいというのはやめてもらいたいと考えます。今後、我々は法律に従ってやるべきことをやっていきます。」(傍点箇所は筆者強調)
「迷惑」の内実とは、「公園内の市立美術館では、展覧会の会期中には『うるさくて集中できない』といった苦情が1日に3、4件出る。カラオケ店の近くにコアラ舎がある天王寺動物園の職員は、『夜行性のコアラが昼間寝るのに、大音量が妨げになっている』と言う」といった事柄である。しかし実際には、市立美術館ではカラオケの音が聞こえることはない。そしてコアラの就寝を妨げているということやその弊害について、専門的な見地からのデータが示されているわけでもない。
また仮に、このような事柄が事実だったとしても、音量を下げて営業を行う、場所を移して営業を行う、あるいは経営的な要素を排したうえで文化的な営みとして青空カラオケを存続させる、といった代替策を考える余地はいくらでもあったはずである。これらの点を考慮すれば、今回の強制撤去が、「高度の正当事由」を満たすものではないことは明らかだ。
さらに、上述したようにカラオケ屋台の従業員のなかには屋台での労働が貴重な収入源になっている人もいる。だからこそ、話し合いの機会を求める交渉の場で、屋台の店主は次のように訴えていた。
「われわれ自分の生活も大事やけど、いま従事してくれてる、ね、従業員のことも大事やねん。ね。ここやめたからって、その日暮らししてる子がやで、明日からなにして、どないしてご飯食べていくんやろ。家賃払うていくんやろ。違う?家賃払われへんかったら、野宿せなしゃあないやん。ゴミ箱漁らなしゃあないよ。それをそういう人間をあなたたちはつくろうとしてんの、今。ね。だから、もうちょっと、ぬくもりのある気持ちで話し合うてくださいいうこと、お願いしてんねん、あんたらに。でも、出来ない出来ないの一点張り?おかしいやろ。」
社会権規約が定めるところによれば、仮に強制撤去が止むを得ないものであったとしても、最低限その後の当事者の生活は補償はなされなければならない。ここで引用した当事者の言葉は、この点を正当に訴えるものであった。
上述したように、この日の当事者の主張は徹底的に拒絶され、12月15日には行政代執行が現実のものとなった。正当な事由もなく、撤去後の補償もなく、当事者との話し合いもないにもかかわらず、である。上記の主張を徹底的に跳ね除けられたカラオケ屋台の店主らは、この不当性を可視化させるために、ひとつの戦術に打って出た。
今回の強制撤去は、名目としては道路工事の一環として実施されたものである。この道路工事は、道路を舗装したうえで植樹を施すという趣旨のもと行われるとされている。そこに排除の意図を読み取った店主は、行政代執行が施行される2日前の12月13日、2軒のカラオケ屋台を天王寺公園入口付近へと移動させた。
その場所は、今回の道路工事の区域外の場所である。本来ならば、この2軒に対しては改めて行政代執行の手続きが始められなければならない。したがって、既存の場所で営業を行う店舗に対する道路工事という名目をこの2軒に対してそのまま適用することはできない。また、この両店舗の出すカラオケの音量が、公園の反対側に位置する動物園や美術館に聞こえようもない。それでもなお強制撤去を断行するというのであれば、その根拠の薄弱さが明白なものとして実証されるであろう。
事実この2軒のカラオケ屋台に対しては、13日18時15分に弁明の機会が付与され、その期限は同日20時、つまりわずか1時間15分の余地しか与えないという措置がとられた。翌日14日の午前9時50分前後に除却命令書が、同日13時30分、15時過ぎにそれぞれの店舗に対して戒告書が届けられ、15日には他店舗と同じく行政代執行実施の運びとなったのである。わずか2日間のうちに、行政代執行実施の手続きのすべての工程が完了されてしまったのだ。こうして当事者の実践によって、青空カラオケ屋台に対する強制排除の不当性は可視的なものとして提示され、見事なまでに実証されたのである。
今回の行政代執行の実施が、国連社会人権規約の定義する強制立ち退きの要件を満たすものではないことは明らかである。ひとつひとつの根拠は著しく具体性に欠けるものだったにもかかわらず強制撤去が行われたとすれば、それを可能にした論理とはなにか。注目されるのは、上掲した市長の発言のなかで繰り返し言及される「人に迷惑をかける」という修辞である。そしてマスメディアの報道の姿勢も、多くはこの迷惑論を支持するものだった。耳を塞ぎながら通る市民の映像を繰り返し映し出した報道などは、その典型といえるだろう。
強制撤去が迷惑論を梃子として作動されたということ。私たちはこの事実をとおして、都市空間における排除の現在的なあり方を垣間見ることができるのではなかろうか。以下では視点を変えて、天王寺公園における排除の系譜を辿りつつ、この問いへ接近してみたい。
Ⅳ 天王寺動物園にみる排除の形態
年明けの1月1日、一軒のカラオケ屋台が、再開を望む客たちの声に応えるため、そしていまいちど異議申し立ての声をあげるため、再度公園入口の別の場所で営業を再開した。このカラオケ屋台は未曾有の活況を呈したのであるが、大阪市はこれに対し刑事告訴も辞さないという強硬姿勢を見せ、5日早朝には自主撤去の運びとなる。このとき、屋台の従業員が訴えた言葉は、まさに天王寺公園のあり方そのものを問うものだった。
現在の天王寺公園は、有料化された部分がほとんどを占めており、150円を支払わなければ入園できないようになっている。公園内はたしかに清潔ではあるが、しかしその広大さに比して人影はまばらであり、常に閑散としている。
この有料化された空間内であるが、さまざまな装置によって外部から遮断され、「防衛」されている。外周にはフェンスが張り巡らされており、その上部には赤外線センサーと思われる機械が備え付けられている。さらに、入園ゲート上部には監視カメラが設置されているという徹底さである。すべての人の参加可能性に対して開かれるはずの公園がなぜ、有料化され囲い込まれているのか。そして防犯設備が体現するこの敵意は、いったい誰に対して向けられたものなのか。これらの点を、まず天王寺動物園の事例を導きの糸として考察してみたい。
手元に「大阪市天王寺動物園のあゆみ―入園者数の動向を中心として―」と題する論文がある(『大阪市公園局業務論文報告集 第1巻』(1982)所収)。これによれば、天王寺動物園は、1970年に「万国博人気の余勢を駆って再び入場者増加のピークを記録している。しかし、日本経済がオイル・ショックを受けた昭和49年以降、入園者の数は減少の一途を辿っている」。この論文は、入園者数減少の原因を「全国の動物園に共通する原因」と「当園特有の原因」に大別し、さしあたって「全国の動物園に共通する原因」としては娯楽産業としての動物園の総体的な地位の低下を指摘する。しかしこの論文が問題視するのはむしろ、「当園特有の原因」として述べられる次のような点である。
「さらに天王寺動物園にとって非常に重大な問題として、園周辺の環境の悪さがある。すなわち日雇い労務者スタイルの人々や酔っ払いの多いような場所の真ん中に動物園があること自体に入園者数の減少する根本原因があるといってよい。特に地下鉄の動物園前駅から動物園に行くときに通らなければならない、薄暗い高架下の不気味さは成人男子をも恐れさせるほどである。また春秋の繁忙期になると酔っ払いが園内でトラブルを発生させ、動物にイタズラをしたり、他の入園者に暴力をふるったりするのである。このように大阪でも特にイメージのよくない場所に動物園がある以上、市民の足を動物園に向けさせるには非常な努力が必要だと思われる。」(傍点箇所は引用者強調)
「全国の動物園に共通する原因」として指摘された全国的な動物園の入園者減少という要因は脇に置かれ、ここでは天王寺動物園の立地上の問題こそが「根本的な原因」とみなされる。述べられる立地上の問題とは、日雇い労働者などの周縁化され異質化された人々の存在、あるいは彼らに対して付与されたイメージの園内への「侵入」である。しかし、入場者数がピークを記した1970年は勿論のこと、戦前から釜ヶ崎は天王寺動物園に隣接して存在し続けてきた。入園者数の減少に直面するに及んで、唐突にその存在が原因として取り上げられるのは、驚くべき論理のすり替えであり、責任転嫁と言わざるを得ない。
入園者数の減少がこのような問題として仮構されたからには、採られる解決策がこれらの人々に対する排除に向かうのは必然であった。
「動物園の周辺は、まずなによりも明るく清潔な街でなければならない。・・・あの薄暗くてジメジメした感じをなくすため、壁を塗りかえて動物のイラストを入れたり、照明を増やして明るくしたりするべきである。そして悪質露店業者等を移転させ、通行に支障がないようにしなければならない。」
さらに『大阪市公園局業務論文報告集 第2巻』(1984)に所収されている「天王寺動物園における夜間警備の機械化について」と題する論文には、次のような記述がみられる。
「天王寺動物園は、余り環境のよくない場所にあるため、従来付近の無定住者や酔っ払いなどが夜間に園内に侵入し、たき火をしたり、動物に危害を加えたりすることが多く発生した。これに対する警備としてガードマンによる夜間2回の園内巡回を行ってきたが、この警備方式では巡回の間隙が盲点となるため、より密度の高い警備方式が必要となってきた。そこで動物園としては、すべての外周壁に赤外線センサーとワナ式センサーを張り巡らせて、不審者の侵入を感知する機械警備を昭和56年度より実施した。これにより、不法侵入者の数は従来に比べて激減し、一応の成果を収めることができた。」(傍点箇所は引用者強調)
動物園の入園者減少という問題は、日雇い労働者の存在との想像された因果関係を媒介として、ついには外周に赤外線センサー(およびワナ式センサー)を張り巡らすという排他的な物質的実践をもたらしたのである。このような物質的実践がもたらされるうえで、入園者減少の原因を分析するその論理のすり替えが決定的に作用しているのは明らかであるが、しかしここで論文の書き手の狡猾さを非難してもあまり意味はない。問われるべきは、そのようなすり替えの主張を現実的なものとして認識させるその機制であろう。
動物園とは、それがもたらす収益性を基盤とすることで成り立つ消費空間である。この空間が消費空間として実現されるためには、消費者を惹きつけるに足るイメージに満ち足りたスペクタクルが演出されなければならない。したがっていったん特定の利用者の存在が動物園としてのイメージを損なうものとして措定されるならば、この実践命題は直ちに、彼らに対する排除をいまひとつの命題として立ち上げるであろう。天王寺動物園においては、それが釜ヶ崎という周縁化された空間に隣接しているがゆえに、消費空間が内在させる排他性は露骨なかたちであらわれているのである。ここに、私たちは排除の現在的な形態を認めることができる。
天王寺動物園にみられる消費空間の排他性という論点を踏まえたうえで、次に天王寺公園有料化の論理を見通してみたい。
Ⅴ 天王寺公園有料化の論理
1987年7月から10月にかけて、財団法人二十一世紀協会の主催による天王寺博覧会が開催された。「いのち生き生き」というテーマを掲げた博覧会の開催目的は、実質的には関西新国際空港の開港に向けて「大阪の南玄関」としての天王寺のイメージアップを図り、周辺地域の活性化させることにあった。
この博覧会の開催には同時に天王寺公園の再整備計画が織り込まれており、博覧会前後の2年間、公園は閉鎖されることとなる。そして1990年2月に新規開園した際、利用者は驚くべき光景を目にすることになった。4100本の樹木が代採または移植された跡には、地下に駐車場、地上には人工の滝とコンクリート敷の小川と小道がつくられていた。さらに、公園の全体が有料化され、高さ三メートルの鉄柵が張り巡らされてしまっていたのだ。
都市と公園ネットワーク編による『大阪発―公園SOS 私たちのコモンセンス』は、「天王寺公園には、現在の公園政策ひいては都市政策の矛盾や住民側の問題点が集中して現れているように思われる」として、次のような的確な指摘を行っている。
「行政や民間資本側は、再開発を要する都心部に存在するオープンスペースとしての公園の潜在的経済価値に着目している。そして、まずはイベントという集客装置を設置して、公園を商業空間に転換し、そこで再確立した管理権をそのまま継承して、より大きな開発につないでいこうとしている。」
同書によれば「アーバン・ルネサンス」と呼ばれる都市政策が進行しつつあった1986年、大阪市の公園は歴史的な転換を迎えたという。この年、大阪市緑化問題懇談会によって出された『二十一世紀にむけての新しい緑化施策の展開について』は、公園の高度利用を図りながら新しい施設の導入を進め「さらに、これらをファッショナブルに演出し、特に照明に気配りをすることにより夜も使える公園として活性化することを目標とすべきであろう」と指摘したうえで、あわせて「民間資金の導入や民間企業への運営委託」の検討を提言している。同書が「これは公園の本質に照らして明らかな逸脱である」と痛烈に批判するように、それはまさに公共空間の消費空間化ともいうべき提言だった。そしてこのような路線が、天王寺公園において現実のものとなったのである。
ここで示されている論点を次に、天王寺動物園の事例で論述した消費空間の排他性という論点と重ね合わせながら考察を進めてみたい。公園整備を進めるにあたって模範とされたのは、ディズニーランドやチボリ公園といった民間施設だった。とくにチボリ公園については、公園局職員みずから視察を行っている。これらの公園について、市会では次のような発言がなされていた。
「チボリ公園は、ご案内のように民間施設でございまして、面積は約9ヘクタールでございます。5月の初めから9月の中旬くらいまで、いわゆる花のある季節だけに限って開園しております。これはどちらかといいますと、チボリ公園のイメージが、花、光、音楽等でございます。したがいまして、花がなければ十分な演出もできないというふうに私感じておりまして、いわゆるマイナスイメージを払拭しているんではないかというふうに考えているわけでございます。」(傍点箇所は筆者強調)
「私は、天王寺公園が数少い都心の公園でもあり、今回の博覧会を足がかりとして、大人も子供も楽しくくつろげる、明るい公園として変身し、大阪の名所にふさわしい公園になってほしいと願っております。この公園の将来像としては、いろいろのものが浮かびますが、世界中のいろいろな公園のよい点をどんどん見習ってほしいと思うのであります。たとえば、清潔でちり一つないという点では、私も見学いたしまして非常に感銘を受けたのでございますが、ディズニーランド。アメリカのディズニーランドも東京のディズニーランドもそうでございますが、こういったものがいいお手本になるのではないかと思います。」(傍点箇所は筆者強調)
チボリ公園やディズニーランドを模範にすることによって、ここでは「清潔でちり一つない」公園を実現し、「マイナスイメージを払拭」することが目論まれている。「花、光、音楽」というテーマが物語るように、消費空間として公園を再定義し実現しようとする試みのなかでは、消費者を魅了するに足るスペクタクルを演出することが至上命題として浮上する。そして天王寺公園の事例でみたように、ここでもやはりマイナスイメージの払拭、つまり異質な存在の排除というもうひとつの命題が立ち上げられてくるのである。天王寺動物園で日雇い労働者に対して向けられた敵意が、ここでは野宿生活者に向けられていく。
「天王寺公園には不定住者が住みつき、そのためイメージが暗く、市民が寄りつきにくい状態にあるということであります。一方デンマークのチボリ公園などでは入場料を取って一日じゅう家族連れで楽しませる公園となっています。これらを参考にして、天王寺公園も各種施設を有機的に再配置し、イベントもできるリフレッシュな公園に改造することが、ぜひとも必要であると考えます。」(傍点箇所は筆者強調)
そして天王寺動物園においてその敵意が赤外線センサーの設置という排他的な物質的実践を帰結したように、天王寺公園においてそれはフェンスで囲まれた有料空間として実現する。
「ただいま、2点の問題についてお尋ねでございます。まず1点は、天王寺公園を有料化したらどうかということでございますが、私ども、公園を適正な管理運営するためには、非常に効果的な手段かと存じます。・・・有料化になりますと、何といいましても、まず施設の内容を十分に吟味し、豊かなものにする必要がございます。そういたしますと、安心して楽しく利用していただきますために、非常にたくさんの方々が来ていただける、そうしますと、今度は非常に多くの物が売れるということで、経済的な効果もございます。また、それが出ますと、管理する費用等も十分出てまいりましてますますよくなってくる、さらにそれが周辺へ影響いたしまして、非常に周辺との波及効果と申しますか、相互に影響し合ってますますよくなってくるんではないかというふうなことも考えられますので、そういうこともいろいろ勉強してまいりたいと思います。」(傍点部分は筆者強調)
無謀としか言いようのない公園整備の展望には唖然としてしまうが、目指される「経済的な効果」なり「周辺との波及効果」なりが、異質な存在への排除を不可欠のモメントとしていること(少なくともそう認識されていること)を、ここで私たちは確認することができるだろう。公園の有料化を経て、それまで公園で起居していた野宿生活者は園内の有料化ゾーンから追い出されてしまった。これに抗議する市民グループ「天王寺公園の有料を撤回させる市民連絡会」は、「有料化は、公共物の公園を自由に利用する権利を侵害し違法」とする訴訟を起こしたが、93年2月、大阪地方裁判所は、「有料化は市の公園管理者としての合理的な裁量の範囲内」とする判決を下している。
消費空間の創出という論理から導かれた公園の有料化という露骨な暴力がもつ特徴は、他面でそれが「いのち生き生き」というヒューマニズムにあふれるコンセプトを掲げているという点にある。このコンセプトの意味するところは、たとえば以下のように説明されている。
「こういった既存の文化的施設を生かしながら、動植物を中心にいたしまして、生き物の多様性を展示展開することによりまして、現代社会に生きる私たちがともすれば忘れがちになります自然や生き物に対するかかわり合いといいますか、それらの再認識をするということで、あわせまして命の尊厳とか、心の触れ含いとか、いたわり合う心を育てていこう、そういった場をつくっていこうじゃないかということが、開催趣旨の第2点目でございます。」
このような耳に心地よいコンセプトを掲げた天王寺博覧会が現実には野宿生活者の排除という非人間的な効力をもたらしたように、今回の青空カラオケの強制撤去にも「緑」というアメニティの装いをまとったヒューマニスティックな形象がつきまとっていた。道路工事が完了した後、以前のカラオケ通りには植樹が施される予定である。また1月5日早朝にカラオケ屋台が自主撤去した後、待っていましたとばかりに同日午後にはフラワーポットが備え付けられた。天王寺博覧会で顕現したヒューマニティスティックな形象を伴う暴力が、いまだなおその効力を失っていないことがここでは確認できる。
こうしたヒューマニズムが指し示す理想とは、チボリ公園やディズニーランドといったスペクタクルの演出に溢れた世界である。「清潔でちり一つ」ない明るさに満ちたこの世界のなかでは、もはやいかなるコンフリクトも介在する余地がない。
Ⅵ 公共空間の危機
冒頭であらかじめ述べたように、今回の青空カラオケの強制撤去の直接的な理由は、筆者らにはいまだ不明である。しかし、迷惑論が強制撤去という事態を可能にする基盤として作動していたことは確かであろう。この迷惑論は実のところ、博覧会で掲げられたヒューマニスティックなコンセプトと表裏一体の関係にあるのではないだろうか。
天王寺公園にあって青空カラオケの存在が際立ってみえたのは、一つには公園のほぼ全域が有料化されているが故に、9軒のカラオケ屋台が無料ゾーンの大部分を占めることになってしまったことによる。しかしもう一つには、清潔で「ちり一つない」公園にあっては、その存在はあまりに異質で過剰なものとして人々の目に映じたからであろう。ここにおいておそらく、迷惑論はその機能を十全に発揮したのである。消費という命題の下ではコンフリクトをもたらす存在が公園に存在することは許されないのだから、それはもはやただ迷惑行為として位置づけられる他ないのだ。
このように考えてみるとき、そこで重大ななにかが決定的に奪われてしまうことに気付く。青空カラオケは歌をつうじた協働的な空間を築いていた。野宿生活者は、(当人の意思によるものなのかは別として)そこを労働と生活の場として利用している。このように空間を思い思いに転用する実践のなかでは、当然の帰結としてコンフリクトが生じるだろう。しかしそうしたコンフリクトを経ないままに、私たちはいかなる公共性を想定しうるのか。奪われてしまうのは、空間をこれまでになかったような方法で利用し、新たな関係性を紡ぎだすその可能性であり、そこから生み出されるはずの公共性である。
公共性の縮減から真っ先に打撃を受けるのは、間違いなく都市下層の人々である。
「歳いったおっちゃんらがな、いっぱしのやっぱり高度成長とかやっぱりやってきて、ほんで、こういう時代になってきて、リストラされて、なんやかんやして、行き場を失うて、それでも、なんとか生きていける、人間、やっぱりなあ。そらあ死ぬのは簡単やけど、俺死ぬのはこわいと思うで。俺死ぬ勇気ないもん。そやから生きとんねん。生きるんやったら一生懸命なんでもして生きたろう、いう気になるやん。そないなるとな、わかっとてでもやっぱりやらなあかんわけよ。それでみんな楽しんでくれりぇええねん。人に悪いことしとるわけやないんやから。そいだらここいらはみんな、どんな人でもほれ、なりふりかまわずほれ寄って、楽しんできてるやん。そこらのできた店行ってな、それせいいうたらそれ兄ちゃん、店のほう、な、嫌がるんちゃう。」
この言葉が示すように、自らの存在を表明し、社会的な関係性を紡ぎだす場を刻み込むために、彼らは新たな空間利用のスタイルの創出を切実に必要としており、それを実現する場のひとつが青空カラオケだったのである。公共空間とはそのような示差的な場を生み出すポテンシャルを有する空間だったはずである。しかしそこから公共性が奪われることによってそうした場の存立基盤がいま、急速に切り縮められつつある。このような事態が、「人に迷惑をかける」という修辞のもとに進行しているのだ。
迷惑論はその根拠の説明を必要とせず(なぜ迷惑なのかという問いをそれは許さない)、異なった視点からの問いをはじめから封じ込める論理である。そこで迷惑論が切り開くのは、「きれい―汚い」「美しい―醜い」といった消費社会が主体に課する審美的な感覚を、排他的な実践へとダイレクトに結びつける回路である。排除される人々がどのような人生遍歴を経て、現在どのような労働を行い、どのような思いを抱いて生活を営んでいるのかといった想像力に対して、この回路は何の関心も示さない。見かけの異質さというただその一点において、彼らは簡単に排除されてしまうのである。
消費空間が天王寺動物園に限らず天王寺公園全域の位相に転化したように、天王寺公園の事例はおそらく都市の空間性そのものに対する問いとして提起されるべき問題である。現在の大阪市のマスタープランは1990年に策定された「大阪市総合計画21」に基づいている。そこに掲げられた「職・住・遊」というコンセプトの特徴は、次のように述べられている。
「第一次マスタープランでは、経済の高度成長に対応して、『職』と『住』を主としてハード面から捉え、第二次マスタープランでは『住』と『職』のソフト面も含めた向上を謳いました。そして今、『住・職』に加えて『遊』(文化、にぎわい、娯楽、ゆとり、アメニティなど都市の魅力となる諸要素の象徴)を強調したいのです。」
このマスタープランが文化性やアメニティを重要な課題として掲げていることに対し、芝村篤樹は「戦後の大阪の街づくりにおいて、遅れが目立った面である」として一定の評価を表明しつつも、次のような注目すべき危惧を示唆している。
「ただ、文化性やアメニティーの向上が強調される最大の理由は、情報化・サービス化・国際化時代では、それらが不可欠な『経済基盤』と認識されているからである。文化・アメニティーの向上は経済振興策でもあり、東京との経済格差の縮小が目標とされている。その点では、従来の大坂復権論と共通する側面があることは否めない。」
現在の大阪市の都市政策は、おそらく一面では相当に柔軟な姿勢をみせているといえるだろう。御堂筋の歩行者天国は歩行者に対して道路を開放し、あるいはOCATのオープンスペースはストリート・パフォーマーに対して開放された。このような実践のなかに大阪市の提言する「遊」というコンセプトが実現していることを知ることができるし、このような開放性それ自体は歓迎されるべきものである。しかし芝村が鋭く指摘するように、そこで課題となっているのがあくまで経済振興なのであれば、そこではかような実践に対して潜在的な経済価値が発見されたにすぎない。したがって最終的に消費に結びつき得ないとみなされる実践に対して、この開放性は一転して徹底した排除の姿勢を見せるのではないか。
この危惧が単なる杞憂ではないことを例証する事例がある。2003年、ホームレス自立支援特別措置法が施行された。それまで無策であった野宿生活者に対する施策に法的基盤が整えられたという意味では、この法律は画期的なものであったし、この法律を活用して野宿生活者のニーズに応えるべく、現場では貴重な努力が注がれている。
問題は、この法律の謳う「自立」が「公園適正化」とセットで定義されているということである。つまり公園での野宿生活からの脱却を目指す人々に対しては「就労による援助」あるいは「福祉による援助」によってその自立を支援しつつ、それでもなお公園での野宿に留まろうとする人々に対して、「社会生活を拒否する者」というこれまで存在しなかった法的カテゴリーが生み出されてしまったのである。法的根拠が整えられることにより、これらの人々に対する強制撤去はこれまでにないほど容易になりつつある。このような事例もまた、公共空間の消費空間化という事態を指し示しているのではないか。長居公園において野宿生活者を対象とする一時避難所の建設が表明された同じ時期に、大阪市がオリンピック誘致を進めていたという事実を、単なる偶然として片付けられるだろうか。
青空カラオケの強制撤去を前にして、私たちは消費空間の勝利と公共空間の終焉をまざまざと見せ付けられたように思う。そして迷惑論をかくも容易に受容してしまっている私たちはいま、自らすすんで「都市の囚人」になり、その身を消費空間へと奉げようとしているのである。
大阪市天王寺区南部に位置する天王寺公園。大阪市の南のターミナルである天王寺駅のすぐ向かいに位置し、その周囲はいまだ進行中である阿倍野再開発地区や、大阪の名所として知られる新世界、通天閣、四天王寺、そして日本最大の寄せ場である釜ヶ崎(あいりん地域)に取り囲まれている。2003年冬、この公園で世間の耳目を集める出来事が起こった。天王寺公園内の通称カラオケ通りと呼ばれる道筋には、9軒の青空カラオケ屋台が営業を行っていた。この青空カラオケ屋台が突如立ち退きを迫られ、店主や従業員がこれに対する抵抗を繰り広げたのである。問題が起こってからというもの、この光景はマスメディアによって盛んに報じられ、さまざまな言説が飛び交った。
だが青空カラオケ屋台がすっかり撤去されてしまった現在、この出来事は一過性の話題として忘れ去られようとしている。しかしながら筆者らは、青空カラオケ屋台に対する強制撤去が孕む問題性はいまだ問われてすらいないのではないかと考える。本稿は青空カラオケ強制撤去という出来事を批判的に検証することで、そこから都市空間の現在性に向けた問いを、仮説的なかたちであれ立ち上げることを目的としている。
青空カラオケは30年以上にわたる歴史を有している。最初に青空カラオケが天王寺公園に登場したのは、1967年のことである。その後1990年代半ばまでは、4軒が営業するだけだった。もっとも、当初の青空カラオケの形式は現在とは異なっていた。現在のように屋台を構えるのではなく、土日や祝日にカラオケの機材を公園内に持ち込み、一曲100円あるいはカンパ制で行われており、飲食物も客の持ち込みだった。1990年代半ばになると、機材の大型化も伴い青空カラオケは屋台形式で定着化されていく。また、店舗数も増加し、同時に飲食物等も出されるようになった。こうして青空カラオケは、「カラオケ通り」と名づけられるように、領域的な性格を有するに至ったのである。
このような記述を一読すると、すぐさま次のように結論づけたくなるかもしれない。公園内での営業は明らかに都市公園法に違反するのだから、やはり強制撤去はやむを得ない、と。しかしここで立ち止まって考えてほしい。青空カラオケは30年以上にわたる歴史を有しており、事実上その存在は黙認されてきた。それがなぜ現在に至って突然その違法性が叫ばれ、排除されることになったのか。
ここであらかじめ断っておかねばならないが、青空カラオケ強制撤去の直接的な理由は筆者らにはいまだ不明である(不明なままに強制撤去が行われたこと自体問題であるが)。だが強制撤去が法的な問題である以前に政治的な問題であることは少なくとも明らかであり、強制撤去という物質的実践が作動された背景にいかなる力が働いていたのかを考察することには十分意味があるだろう。
考察を進めるにあたって、まずは当事者にとって青空カラオケがどのような意味をもっていたのか、そして青空カラオケという場がいかなる社会性を紡ぎだしていたのかを把握することから始めてみたい。
Ⅱ 公共空間への参加のかたち
青空カラオケその参加者は、それぞれの身体行為をつうじて実にさまざまな役割を担っていた。歌い手はカラオケのメロディに合わせて各々のリズムで歌を刻む。店主や従業員はカラオケの番号入力や飲食物の注文のほか、司会進行を演じることで、歌い手の刻むリズムをさらに増幅させていく。客はといえば、道端に立ったり座ったりと、それぞれの格好で奏でられるリズムに耳を傾け、談笑する。また歌い手の奏でるリズムに合わせて、大衆演劇の演者は独自のスタイルで舞踊を披露する――。
こうした場は同じカラオケとは言っても、閉鎖的な空間のなかで行われる通常のカラオケとは、その社会性という点で一線を画している。不特定多数の偶然の出会い。その対面のなかで即興的に演じられる上演の協働性を土台として青空カラオケは成り立っていたのであり、各人の思い思いの演技に応じてその場がもつ表情は自在に変化していくのである。
青空カラオケのもつ社会性が人々の緩やかな協働によって成り立っているということ。この点は、とりわけ社会的に周縁化された立場に位置する人々にとってきわめて重要な意味をもつ。
前述したように、天王寺公園は寄せ場として知られる釜ヶ崎(あいりん地域)に隣接している。戦後の釜ヶ崎(あいりん地域)は日雇労働力の供給地として単身男性の集住地を形成していたが、日雇労働市場の縮小や労働者の高齢化を背景として、就労から排除された労働者には野宿生活を強いられる人が数多く存在している。そうした人々が、たとえば天王寺公園などの市内の公園に拡散し、そこに生活の拠点をかろうじて築いている。
こうした立場の人にとっての青空カラオケの重要性として、まずはそれが就労の場として機能している、という点を指摘することができるだろう。青空カラオケ屋台に従事する従業員のうち複数の人々は、かつて寄せ場で日雇労働に従事していた経験、あるいは野宿生活を営んでいた経験をもっている。そして彼らのなかには、カラオケ屋台での労働が貴重な収入源となる人もいたのである。
それだけではない。寄せ場労働者に限らず社会的に周縁化された立場の人々にとって、青空カラオケは他者との関係性を築く場としての意味をもっていた。たとえば、次に引用するA氏、62歳の言葉。彼はビルの管理人を務めてきたが、それまで務めてきた管理会社が倒産した後、マンションの清掃や管理の業務に従事することになり、現在では週に2回しか仕事をさせてもらえない。
「わしかてほれ、歳いってきたらな、リストラとかあんなんなって、ほれ、仕事行って、人が寝とるときに仕事せな、な。どうでもええかもしらんけれども、そんな仕事が、われわれにしたらそんなないわけよ、兄ちゃんほんま悲しいけど。・・・そんで朝、帰ってくるわけよ。で朝、帰ってきたら朝から開いとるわけや、な。でここで、はじめて、疲れて帰ってきてやな、ここで、ぱっと入って一杯飲んでいいんか、っていうたら、うん、っていうことで、寄って、でカラオケで一曲二曲歌ってたら、朝からやけどな、みんな不思議か知らんけどやな、こっちは人の寝とるとき働いとる。」
改めて述べるまでもないが、公園とは公共空間である。この空間がその公共性を実現するためには、すべての人々の参加に開かれる可能性が保たれていなければならない。勿論、特定の利用形式が別の利用を妨げるということはあり得る。そのような対立は調停されなければならないが、そこですべての人々に対する参加の可能性という基本は外されてはならないだろう。日中に働き夜に休息をとるというライフスタイルが主流のなかで、A氏の営むライフスタイルは周縁に位置する。マジョリティが夜の時間帯にとる休息を、彼は早朝にもたざるを得ない。そして彼が休息を実現できる空間として見出したのが、天王寺公園であり、青空カラオケだったのである。そうした実践が多くの人々の目には「不思議」な光景として見えたとしても、彼の参加が実現される可能性そのものは排除されてはならないのである。
A氏の公共空間への参加が可能になったのも、青空カラオケが緩やかな協働の場として機能していたからであるが、一方で次のような事実もまた、認識しておかなければならない。青空カラオケが柔軟な場を形成しているとはいっても、その柔軟性には限界があり、必ずしもすべての人に対して開かれていたわけではない。たとえば野宿生活者に対しては、青空カラオケが領域的な性質を有しているがゆえに、そして青空カラオケが一面では経営的な側面をもっており、野宿生活者は「客」とはなり得ないがゆえに、その場は排他的に作用することもあった。また(その表象=代表の仕方は批判すべきものであるが)いくつかの報道が繰り返しとりあげたように、カラオケの音を不快に感じる利用者がいたことも事実である。
このような対立をいかに和解させていくのか、つまり野宿生活者や青空カラオケの従業員や客、そしていわゆる「一般市民」とが緩やかに共存しうる空間をどのように形づくっていくのか。そのような問いのもとに公園整備が進められたら、どれだけ実りある公園をつくることができただろう。しかしながら、事態の進行はまったく逆であった。都市公園法を盾にした行政代執行は、10月に告示され、2ヶ月後の12月15日には執行されるという、異例のスピードで進められたのである。
このような事実を踏まえ、次に当事者がなした異議申したての主張や実践を参照しながら強制撤去の問題性をより具体的に示したうえで、その背景に潜む論理を抽出してみたい。
Ⅲ 迷惑という修辞
上述したように、今回の行政代執行は10月に告知、12月に実施という驚くほど短期間のうちに行われた。行政代執行の手続きは、最初に除去命令書が出され、この期日を過ぎた場合、行政代執行法に基づく戒告書が出され、行政代執行令状が出されるという手続きが踏まれる。また法律上は、行政代執行を不服とする場合には、弁明書を提出したうえでその旨を申し立てる、という手続きになっている。
ところで当時の磯村隆文大阪市長は、弁明書提出期限である十一月十七日以前に、強制撤去の方針を既に断固たるものとして表明している。となれば弁明書の提出が行政代執行の実施へと向かう手続きとしての意味しかもちえないことは、誰の目にも明らかであろう。
十一月十七日。行政側にとってこの日は弁明書提出の期限にすぎなかったが、当事者はしかし、あくまで話し合いの機会を求めてゆとりとみどり振興局に赴いた。
「だから、われわれは、言ってることを、われわれが言ってることは、十なら十とも聞いてくださいって言ってるのちがうよ。どういうふうに解釈してるのか知らんけど、われわれきょうここに来たんは、お願いにあがってんねんけど、おたくの態度みてたらどうしても、声が荒げてくる。ね。十を言うても、十聞いてくださいじゃないの。おたがいに折れて曲がって人間同士の話をしよう言うてるわけ。」
この言葉は、「弁明書提出→代執行実施」という不可逆的な手続きのプロセスを何としても食い止めようとする、当事者のぎりぎりの主張として解されるべきだろう。しかしながらこのような主張は、「手続き」という壁を前にしてまったく省みられることはなかったのである。
ここで当事者のなしたこのような主張の正当性を提示するために、国連社会権規約委員会による強制立ち退きに関する規定を参照してみたい。強制立ち退きの要件として同規約は、①高度の正当事由、②影響を受ける者との真正な協議、③適切な代替措置の提供、この三点が必要であると定めている。カラオケ屋台の店主らが求めた話し合いの機会は、②影響を受ける者との真正な協議を求めるものだった。そして当事者がそのような場を求めた理由は、①カラオケ屋台に対する行政代執行実施の事由が正当性を欠き、③適切な代替措置の提供がまったく考慮されていなかったことによる。この点を順に説明していこう。
今回の行政代執行は、いかなる根拠のもとで行われたのか。磯村大阪市長は次のように説明している。
「道路を不法占拠して商売をしたり、自分達だけが楽しみ周りの人に迷惑をかけるというのは問題だと思います。行政としては、いろいろな所からなぜああいうことを放置しておくのかと言われてきており、公園管理という形で、ようやく問題解決に向けて動き始めたという認識を持っています。大阪は自由なまちですけれども、許されることとそうでないことがあります。天下の公道で、人に迷惑をかけるようなことをやって自分達が楽しければいいというのはやめてもらいたいと考えます。今後、我々は法律に従ってやるべきことをやっていきます。」(傍点箇所は筆者強調)
「迷惑」の内実とは、「公園内の市立美術館では、展覧会の会期中には『うるさくて集中できない』といった苦情が1日に3、4件出る。カラオケ店の近くにコアラ舎がある天王寺動物園の職員は、『夜行性のコアラが昼間寝るのに、大音量が妨げになっている』と言う」といった事柄である。しかし実際には、市立美術館ではカラオケの音が聞こえることはない。そしてコアラの就寝を妨げているということやその弊害について、専門的な見地からのデータが示されているわけでもない。
また仮に、このような事柄が事実だったとしても、音量を下げて営業を行う、場所を移して営業を行う、あるいは経営的な要素を排したうえで文化的な営みとして青空カラオケを存続させる、といった代替策を考える余地はいくらでもあったはずである。これらの点を考慮すれば、今回の強制撤去が、「高度の正当事由」を満たすものではないことは明らかだ。
さらに、上述したようにカラオケ屋台の従業員のなかには屋台での労働が貴重な収入源になっている人もいる。だからこそ、話し合いの機会を求める交渉の場で、屋台の店主は次のように訴えていた。
「われわれ自分の生活も大事やけど、いま従事してくれてる、ね、従業員のことも大事やねん。ね。ここやめたからって、その日暮らししてる子がやで、明日からなにして、どないしてご飯食べていくんやろ。家賃払うていくんやろ。違う?家賃払われへんかったら、野宿せなしゃあないやん。ゴミ箱漁らなしゃあないよ。それをそういう人間をあなたたちはつくろうとしてんの、今。ね。だから、もうちょっと、ぬくもりのある気持ちで話し合うてくださいいうこと、お願いしてんねん、あんたらに。でも、出来ない出来ないの一点張り?おかしいやろ。」
社会権規約が定めるところによれば、仮に強制撤去が止むを得ないものであったとしても、最低限その後の当事者の生活は補償はなされなければならない。ここで引用した当事者の言葉は、この点を正当に訴えるものであった。
上述したように、この日の当事者の主張は徹底的に拒絶され、12月15日には行政代執行が現実のものとなった。正当な事由もなく、撤去後の補償もなく、当事者との話し合いもないにもかかわらず、である。上記の主張を徹底的に跳ね除けられたカラオケ屋台の店主らは、この不当性を可視化させるために、ひとつの戦術に打って出た。
今回の強制撤去は、名目としては道路工事の一環として実施されたものである。この道路工事は、道路を舗装したうえで植樹を施すという趣旨のもと行われるとされている。そこに排除の意図を読み取った店主は、行政代執行が施行される2日前の12月13日、2軒のカラオケ屋台を天王寺公園入口付近へと移動させた。
その場所は、今回の道路工事の区域外の場所である。本来ならば、この2軒に対しては改めて行政代執行の手続きが始められなければならない。したがって、既存の場所で営業を行う店舗に対する道路工事という名目をこの2軒に対してそのまま適用することはできない。また、この両店舗の出すカラオケの音量が、公園の反対側に位置する動物園や美術館に聞こえようもない。それでもなお強制撤去を断行するというのであれば、その根拠の薄弱さが明白なものとして実証されるであろう。
事実この2軒のカラオケ屋台に対しては、13日18時15分に弁明の機会が付与され、その期限は同日20時、つまりわずか1時間15分の余地しか与えないという措置がとられた。翌日14日の午前9時50分前後に除却命令書が、同日13時30分、15時過ぎにそれぞれの店舗に対して戒告書が届けられ、15日には他店舗と同じく行政代執行実施の運びとなったのである。わずか2日間のうちに、行政代執行実施の手続きのすべての工程が完了されてしまったのだ。こうして当事者の実践によって、青空カラオケ屋台に対する強制排除の不当性は可視的なものとして提示され、見事なまでに実証されたのである。
今回の行政代執行の実施が、国連社会人権規約の定義する強制立ち退きの要件を満たすものではないことは明らかである。ひとつひとつの根拠は著しく具体性に欠けるものだったにもかかわらず強制撤去が行われたとすれば、それを可能にした論理とはなにか。注目されるのは、上掲した市長の発言のなかで繰り返し言及される「人に迷惑をかける」という修辞である。そしてマスメディアの報道の姿勢も、多くはこの迷惑論を支持するものだった。耳を塞ぎながら通る市民の映像を繰り返し映し出した報道などは、その典型といえるだろう。
強制撤去が迷惑論を梃子として作動されたということ。私たちはこの事実をとおして、都市空間における排除の現在的なあり方を垣間見ることができるのではなかろうか。以下では視点を変えて、天王寺公園における排除の系譜を辿りつつ、この問いへ接近してみたい。
Ⅳ 天王寺動物園にみる排除の形態
年明けの1月1日、一軒のカラオケ屋台が、再開を望む客たちの声に応えるため、そしていまいちど異議申し立ての声をあげるため、再度公園入口の別の場所で営業を再開した。このカラオケ屋台は未曾有の活況を呈したのであるが、大阪市はこれに対し刑事告訴も辞さないという強硬姿勢を見せ、5日早朝には自主撤去の運びとなる。このとき、屋台の従業員が訴えた言葉は、まさに天王寺公園のあり方そのものを問うものだった。
現在の天王寺公園は、有料化された部分がほとんどを占めており、150円を支払わなければ入園できないようになっている。公園内はたしかに清潔ではあるが、しかしその広大さに比して人影はまばらであり、常に閑散としている。
この有料化された空間内であるが、さまざまな装置によって外部から遮断され、「防衛」されている。外周にはフェンスが張り巡らされており、その上部には赤外線センサーと思われる機械が備え付けられている。さらに、入園ゲート上部には監視カメラが設置されているという徹底さである。すべての人の参加可能性に対して開かれるはずの公園がなぜ、有料化され囲い込まれているのか。そして防犯設備が体現するこの敵意は、いったい誰に対して向けられたものなのか。これらの点を、まず天王寺動物園の事例を導きの糸として考察してみたい。
手元に「大阪市天王寺動物園のあゆみ―入園者数の動向を中心として―」と題する論文がある(『大阪市公園局業務論文報告集 第1巻』(1982)所収)。これによれば、天王寺動物園は、1970年に「万国博人気の余勢を駆って再び入場者増加のピークを記録している。しかし、日本経済がオイル・ショックを受けた昭和49年以降、入園者の数は減少の一途を辿っている」。この論文は、入園者数減少の原因を「全国の動物園に共通する原因」と「当園特有の原因」に大別し、さしあたって「全国の動物園に共通する原因」としては娯楽産業としての動物園の総体的な地位の低下を指摘する。しかしこの論文が問題視するのはむしろ、「当園特有の原因」として述べられる次のような点である。
「さらに天王寺動物園にとって非常に重大な問題として、園周辺の環境の悪さがある。すなわち日雇い労務者スタイルの人々や酔っ払いの多いような場所の真ん中に動物園があること自体に入園者数の減少する根本原因があるといってよい。特に地下鉄の動物園前駅から動物園に行くときに通らなければならない、薄暗い高架下の不気味さは成人男子をも恐れさせるほどである。また春秋の繁忙期になると酔っ払いが園内でトラブルを発生させ、動物にイタズラをしたり、他の入園者に暴力をふるったりするのである。このように大阪でも特にイメージのよくない場所に動物園がある以上、市民の足を動物園に向けさせるには非常な努力が必要だと思われる。」(傍点箇所は引用者強調)
「全国の動物園に共通する原因」として指摘された全国的な動物園の入園者減少という要因は脇に置かれ、ここでは天王寺動物園の立地上の問題こそが「根本的な原因」とみなされる。述べられる立地上の問題とは、日雇い労働者などの周縁化され異質化された人々の存在、あるいは彼らに対して付与されたイメージの園内への「侵入」である。しかし、入場者数がピークを記した1970年は勿論のこと、戦前から釜ヶ崎は天王寺動物園に隣接して存在し続けてきた。入園者数の減少に直面するに及んで、唐突にその存在が原因として取り上げられるのは、驚くべき論理のすり替えであり、責任転嫁と言わざるを得ない。
入園者数の減少がこのような問題として仮構されたからには、採られる解決策がこれらの人々に対する排除に向かうのは必然であった。
「動物園の周辺は、まずなによりも明るく清潔な街でなければならない。・・・あの薄暗くてジメジメした感じをなくすため、壁を塗りかえて動物のイラストを入れたり、照明を増やして明るくしたりするべきである。そして悪質露店業者等を移転させ、通行に支障がないようにしなければならない。」
さらに『大阪市公園局業務論文報告集 第2巻』(1984)に所収されている「天王寺動物園における夜間警備の機械化について」と題する論文には、次のような記述がみられる。
「天王寺動物園は、余り環境のよくない場所にあるため、従来付近の無定住者や酔っ払いなどが夜間に園内に侵入し、たき火をしたり、動物に危害を加えたりすることが多く発生した。これに対する警備としてガードマンによる夜間2回の園内巡回を行ってきたが、この警備方式では巡回の間隙が盲点となるため、より密度の高い警備方式が必要となってきた。そこで動物園としては、すべての外周壁に赤外線センサーとワナ式センサーを張り巡らせて、不審者の侵入を感知する機械警備を昭和56年度より実施した。これにより、不法侵入者の数は従来に比べて激減し、一応の成果を収めることができた。」(傍点箇所は引用者強調)
動物園の入園者減少という問題は、日雇い労働者の存在との想像された因果関係を媒介として、ついには外周に赤外線センサー(およびワナ式センサー)を張り巡らすという排他的な物質的実践をもたらしたのである。このような物質的実践がもたらされるうえで、入園者減少の原因を分析するその論理のすり替えが決定的に作用しているのは明らかであるが、しかしここで論文の書き手の狡猾さを非難してもあまり意味はない。問われるべきは、そのようなすり替えの主張を現実的なものとして認識させるその機制であろう。
動物園とは、それがもたらす収益性を基盤とすることで成り立つ消費空間である。この空間が消費空間として実現されるためには、消費者を惹きつけるに足るイメージに満ち足りたスペクタクルが演出されなければならない。したがっていったん特定の利用者の存在が動物園としてのイメージを損なうものとして措定されるならば、この実践命題は直ちに、彼らに対する排除をいまひとつの命題として立ち上げるであろう。天王寺動物園においては、それが釜ヶ崎という周縁化された空間に隣接しているがゆえに、消費空間が内在させる排他性は露骨なかたちであらわれているのである。ここに、私たちは排除の現在的な形態を認めることができる。
天王寺動物園にみられる消費空間の排他性という論点を踏まえたうえで、次に天王寺公園有料化の論理を見通してみたい。
Ⅴ 天王寺公園有料化の論理
1987年7月から10月にかけて、財団法人二十一世紀協会の主催による天王寺博覧会が開催された。「いのち生き生き」というテーマを掲げた博覧会の開催目的は、実質的には関西新国際空港の開港に向けて「大阪の南玄関」としての天王寺のイメージアップを図り、周辺地域の活性化させることにあった。
この博覧会の開催には同時に天王寺公園の再整備計画が織り込まれており、博覧会前後の2年間、公園は閉鎖されることとなる。そして1990年2月に新規開園した際、利用者は驚くべき光景を目にすることになった。4100本の樹木が代採または移植された跡には、地下に駐車場、地上には人工の滝とコンクリート敷の小川と小道がつくられていた。さらに、公園の全体が有料化され、高さ三メートルの鉄柵が張り巡らされてしまっていたのだ。
都市と公園ネットワーク編による『大阪発―公園SOS 私たちのコモンセンス』は、「天王寺公園には、現在の公園政策ひいては都市政策の矛盾や住民側の問題点が集中して現れているように思われる」として、次のような的確な指摘を行っている。
「行政や民間資本側は、再開発を要する都心部に存在するオープンスペースとしての公園の潜在的経済価値に着目している。そして、まずはイベントという集客装置を設置して、公園を商業空間に転換し、そこで再確立した管理権をそのまま継承して、より大きな開発につないでいこうとしている。」
同書によれば「アーバン・ルネサンス」と呼ばれる都市政策が進行しつつあった1986年、大阪市の公園は歴史的な転換を迎えたという。この年、大阪市緑化問題懇談会によって出された『二十一世紀にむけての新しい緑化施策の展開について』は、公園の高度利用を図りながら新しい施設の導入を進め「さらに、これらをファッショナブルに演出し、特に照明に気配りをすることにより夜も使える公園として活性化することを目標とすべきであろう」と指摘したうえで、あわせて「民間資金の導入や民間企業への運営委託」の検討を提言している。同書が「これは公園の本質に照らして明らかな逸脱である」と痛烈に批判するように、それはまさに公共空間の消費空間化ともいうべき提言だった。そしてこのような路線が、天王寺公園において現実のものとなったのである。
ここで示されている論点を次に、天王寺動物園の事例で論述した消費空間の排他性という論点と重ね合わせながら考察を進めてみたい。公園整備を進めるにあたって模範とされたのは、ディズニーランドやチボリ公園といった民間施設だった。とくにチボリ公園については、公園局職員みずから視察を行っている。これらの公園について、市会では次のような発言がなされていた。
「チボリ公園は、ご案内のように民間施設でございまして、面積は約9ヘクタールでございます。5月の初めから9月の中旬くらいまで、いわゆる花のある季節だけに限って開園しております。これはどちらかといいますと、チボリ公園のイメージが、花、光、音楽等でございます。したがいまして、花がなければ十分な演出もできないというふうに私感じておりまして、いわゆるマイナスイメージを払拭しているんではないかというふうに考えているわけでございます。」(傍点箇所は筆者強調)
「私は、天王寺公園が数少い都心の公園でもあり、今回の博覧会を足がかりとして、大人も子供も楽しくくつろげる、明るい公園として変身し、大阪の名所にふさわしい公園になってほしいと願っております。この公園の将来像としては、いろいろのものが浮かびますが、世界中のいろいろな公園のよい点をどんどん見習ってほしいと思うのであります。たとえば、清潔でちり一つないという点では、私も見学いたしまして非常に感銘を受けたのでございますが、ディズニーランド。アメリカのディズニーランドも東京のディズニーランドもそうでございますが、こういったものがいいお手本になるのではないかと思います。」(傍点箇所は筆者強調)
チボリ公園やディズニーランドを模範にすることによって、ここでは「清潔でちり一つない」公園を実現し、「マイナスイメージを払拭」することが目論まれている。「花、光、音楽」というテーマが物語るように、消費空間として公園を再定義し実現しようとする試みのなかでは、消費者を魅了するに足るスペクタクルを演出することが至上命題として浮上する。そして天王寺公園の事例でみたように、ここでもやはりマイナスイメージの払拭、つまり異質な存在の排除というもうひとつの命題が立ち上げられてくるのである。天王寺動物園で日雇い労働者に対して向けられた敵意が、ここでは野宿生活者に向けられていく。
「天王寺公園には不定住者が住みつき、そのためイメージが暗く、市民が寄りつきにくい状態にあるということであります。一方デンマークのチボリ公園などでは入場料を取って一日じゅう家族連れで楽しませる公園となっています。これらを参考にして、天王寺公園も各種施設を有機的に再配置し、イベントもできるリフレッシュな公園に改造することが、ぜひとも必要であると考えます。」(傍点箇所は筆者強調)
そして天王寺動物園においてその敵意が赤外線センサーの設置という排他的な物質的実践を帰結したように、天王寺公園においてそれはフェンスで囲まれた有料空間として実現する。
「ただいま、2点の問題についてお尋ねでございます。まず1点は、天王寺公園を有料化したらどうかということでございますが、私ども、公園を適正な管理運営するためには、非常に効果的な手段かと存じます。・・・有料化になりますと、何といいましても、まず施設の内容を十分に吟味し、豊かなものにする必要がございます。そういたしますと、安心して楽しく利用していただきますために、非常にたくさんの方々が来ていただける、そうしますと、今度は非常に多くの物が売れるということで、経済的な効果もございます。また、それが出ますと、管理する費用等も十分出てまいりましてますますよくなってくる、さらにそれが周辺へ影響いたしまして、非常に周辺との波及効果と申しますか、相互に影響し合ってますますよくなってくるんではないかというふうなことも考えられますので、そういうこともいろいろ勉強してまいりたいと思います。」(傍点部分は筆者強調)
無謀としか言いようのない公園整備の展望には唖然としてしまうが、目指される「経済的な効果」なり「周辺との波及効果」なりが、異質な存在への排除を不可欠のモメントとしていること(少なくともそう認識されていること)を、ここで私たちは確認することができるだろう。公園の有料化を経て、それまで公園で起居していた野宿生活者は園内の有料化ゾーンから追い出されてしまった。これに抗議する市民グループ「天王寺公園の有料を撤回させる市民連絡会」は、「有料化は、公共物の公園を自由に利用する権利を侵害し違法」とする訴訟を起こしたが、93年2月、大阪地方裁判所は、「有料化は市の公園管理者としての合理的な裁量の範囲内」とする判決を下している。
消費空間の創出という論理から導かれた公園の有料化という露骨な暴力がもつ特徴は、他面でそれが「いのち生き生き」というヒューマニズムにあふれるコンセプトを掲げているという点にある。このコンセプトの意味するところは、たとえば以下のように説明されている。
「こういった既存の文化的施設を生かしながら、動植物を中心にいたしまして、生き物の多様性を展示展開することによりまして、現代社会に生きる私たちがともすれば忘れがちになります自然や生き物に対するかかわり合いといいますか、それらの再認識をするということで、あわせまして命の尊厳とか、心の触れ含いとか、いたわり合う心を育てていこう、そういった場をつくっていこうじゃないかということが、開催趣旨の第2点目でございます。」
このような耳に心地よいコンセプトを掲げた天王寺博覧会が現実には野宿生活者の排除という非人間的な効力をもたらしたように、今回の青空カラオケの強制撤去にも「緑」というアメニティの装いをまとったヒューマニスティックな形象がつきまとっていた。道路工事が完了した後、以前のカラオケ通りには植樹が施される予定である。また1月5日早朝にカラオケ屋台が自主撤去した後、待っていましたとばかりに同日午後にはフラワーポットが備え付けられた。天王寺博覧会で顕現したヒューマニティスティックな形象を伴う暴力が、いまだなおその効力を失っていないことがここでは確認できる。
こうしたヒューマニズムが指し示す理想とは、チボリ公園やディズニーランドといったスペクタクルの演出に溢れた世界である。「清潔でちり一つ」ない明るさに満ちたこの世界のなかでは、もはやいかなるコンフリクトも介在する余地がない。
Ⅵ 公共空間の危機
冒頭であらかじめ述べたように、今回の青空カラオケの強制撤去の直接的な理由は、筆者らにはいまだ不明である。しかし、迷惑論が強制撤去という事態を可能にする基盤として作動していたことは確かであろう。この迷惑論は実のところ、博覧会で掲げられたヒューマニスティックなコンセプトと表裏一体の関係にあるのではないだろうか。
天王寺公園にあって青空カラオケの存在が際立ってみえたのは、一つには公園のほぼ全域が有料化されているが故に、9軒のカラオケ屋台が無料ゾーンの大部分を占めることになってしまったことによる。しかしもう一つには、清潔で「ちり一つない」公園にあっては、その存在はあまりに異質で過剰なものとして人々の目に映じたからであろう。ここにおいておそらく、迷惑論はその機能を十全に発揮したのである。消費という命題の下ではコンフリクトをもたらす存在が公園に存在することは許されないのだから、それはもはやただ迷惑行為として位置づけられる他ないのだ。
このように考えてみるとき、そこで重大ななにかが決定的に奪われてしまうことに気付く。青空カラオケは歌をつうじた協働的な空間を築いていた。野宿生活者は、(当人の意思によるものなのかは別として)そこを労働と生活の場として利用している。このように空間を思い思いに転用する実践のなかでは、当然の帰結としてコンフリクトが生じるだろう。しかしそうしたコンフリクトを経ないままに、私たちはいかなる公共性を想定しうるのか。奪われてしまうのは、空間をこれまでになかったような方法で利用し、新たな関係性を紡ぎだすその可能性であり、そこから生み出されるはずの公共性である。
公共性の縮減から真っ先に打撃を受けるのは、間違いなく都市下層の人々である。
「歳いったおっちゃんらがな、いっぱしのやっぱり高度成長とかやっぱりやってきて、ほんで、こういう時代になってきて、リストラされて、なんやかんやして、行き場を失うて、それでも、なんとか生きていける、人間、やっぱりなあ。そらあ死ぬのは簡単やけど、俺死ぬのはこわいと思うで。俺死ぬ勇気ないもん。そやから生きとんねん。生きるんやったら一生懸命なんでもして生きたろう、いう気になるやん。そないなるとな、わかっとてでもやっぱりやらなあかんわけよ。それでみんな楽しんでくれりぇええねん。人に悪いことしとるわけやないんやから。そいだらここいらはみんな、どんな人でもほれ、なりふりかまわずほれ寄って、楽しんできてるやん。そこらのできた店行ってな、それせいいうたらそれ兄ちゃん、店のほう、な、嫌がるんちゃう。」
この言葉が示すように、自らの存在を表明し、社会的な関係性を紡ぎだす場を刻み込むために、彼らは新たな空間利用のスタイルの創出を切実に必要としており、それを実現する場のひとつが青空カラオケだったのである。公共空間とはそのような示差的な場を生み出すポテンシャルを有する空間だったはずである。しかしそこから公共性が奪われることによってそうした場の存立基盤がいま、急速に切り縮められつつある。このような事態が、「人に迷惑をかける」という修辞のもとに進行しているのだ。
迷惑論はその根拠の説明を必要とせず(なぜ迷惑なのかという問いをそれは許さない)、異なった視点からの問いをはじめから封じ込める論理である。そこで迷惑論が切り開くのは、「きれい―汚い」「美しい―醜い」といった消費社会が主体に課する審美的な感覚を、排他的な実践へとダイレクトに結びつける回路である。排除される人々がどのような人生遍歴を経て、現在どのような労働を行い、どのような思いを抱いて生活を営んでいるのかといった想像力に対して、この回路は何の関心も示さない。見かけの異質さというただその一点において、彼らは簡単に排除されてしまうのである。
消費空間が天王寺動物園に限らず天王寺公園全域の位相に転化したように、天王寺公園の事例はおそらく都市の空間性そのものに対する問いとして提起されるべき問題である。現在の大阪市のマスタープランは1990年に策定された「大阪市総合計画21」に基づいている。そこに掲げられた「職・住・遊」というコンセプトの特徴は、次のように述べられている。
「第一次マスタープランでは、経済の高度成長に対応して、『職』と『住』を主としてハード面から捉え、第二次マスタープランでは『住』と『職』のソフト面も含めた向上を謳いました。そして今、『住・職』に加えて『遊』(文化、にぎわい、娯楽、ゆとり、アメニティなど都市の魅力となる諸要素の象徴)を強調したいのです。」
このマスタープランが文化性やアメニティを重要な課題として掲げていることに対し、芝村篤樹は「戦後の大阪の街づくりにおいて、遅れが目立った面である」として一定の評価を表明しつつも、次のような注目すべき危惧を示唆している。
「ただ、文化性やアメニティーの向上が強調される最大の理由は、情報化・サービス化・国際化時代では、それらが不可欠な『経済基盤』と認識されているからである。文化・アメニティーの向上は経済振興策でもあり、東京との経済格差の縮小が目標とされている。その点では、従来の大坂復権論と共通する側面があることは否めない。」
現在の大阪市の都市政策は、おそらく一面では相当に柔軟な姿勢をみせているといえるだろう。御堂筋の歩行者天国は歩行者に対して道路を開放し、あるいはOCATのオープンスペースはストリート・パフォーマーに対して開放された。このような実践のなかに大阪市の提言する「遊」というコンセプトが実現していることを知ることができるし、このような開放性それ自体は歓迎されるべきものである。しかし芝村が鋭く指摘するように、そこで課題となっているのがあくまで経済振興なのであれば、そこではかような実践に対して潜在的な経済価値が発見されたにすぎない。したがって最終的に消費に結びつき得ないとみなされる実践に対して、この開放性は一転して徹底した排除の姿勢を見せるのではないか。
この危惧が単なる杞憂ではないことを例証する事例がある。2003年、ホームレス自立支援特別措置法が施行された。それまで無策であった野宿生活者に対する施策に法的基盤が整えられたという意味では、この法律は画期的なものであったし、この法律を活用して野宿生活者のニーズに応えるべく、現場では貴重な努力が注がれている。
問題は、この法律の謳う「自立」が「公園適正化」とセットで定義されているということである。つまり公園での野宿生活からの脱却を目指す人々に対しては「就労による援助」あるいは「福祉による援助」によってその自立を支援しつつ、それでもなお公園での野宿に留まろうとする人々に対して、「社会生活を拒否する者」というこれまで存在しなかった法的カテゴリーが生み出されてしまったのである。法的根拠が整えられることにより、これらの人々に対する強制撤去はこれまでにないほど容易になりつつある。このような事例もまた、公共空間の消費空間化という事態を指し示しているのではないか。長居公園において野宿生活者を対象とする一時避難所の建設が表明された同じ時期に、大阪市がオリンピック誘致を進めていたという事実を、単なる偶然として片付けられるだろうか。
青空カラオケの強制撤去を前にして、私たちは消費空間の勝利と公共空間の終焉をまざまざと見せ付けられたように思う。そして迷惑論をかくも容易に受容してしまっている私たちはいま、自らすすんで「都市の囚人」になり、その身を消費空間へと奉げようとしているのである。
by righttothecity
| 2015-04-29 17:50

